比べる事なき四つ巴の者たち@アートイン長浜
アートインナガハマ2017の中で、長浜市と台東区の文化交流の一環で行われたアーティスト滞在制作プログラム。
1週間の滞在を経て4枚の襖絵を描き上げました。
現在も長浜市内にある文泉堂さんの店内に展示されています。
【作品解説】
街を探索するうち、かつて滋賀の土地で活躍した四人の人物が見えてきました。
【琵琶】の文字の中は四人の王がいること、その下に比べる、巴の字がある事からモチーフ・タイトルの着想を得て、それぞれの人物を擬獣化して表現しています。
【一つ巴】
「六角定頼」ろっかくさだより
鹿
観音寺に縁のある戦国武将。
織田信長が行ったことで有名な楽市楽座を創始したの
も定頼である。
定頼は、経済発展のために楽市令を出して商人を城下に集め、観音寺を一大商業都市にまで成長させた。
鹿の子絞りという模様は六角氏の家紋から来ている。
【二つ巴】
「石田三成」いしだみつなり
狐
佐和山の狐と呼ばれた武将。
豊臣秀吉に仕え、数々の逸話を残している。
その中でも、三杯の茶では鷹狩りの帰りにのどの渇きを覚えた秀吉が茶を所望した際、最初に大きめの茶碗にぬるめの茶を、次に一杯目よりやや小さい茶碗にやや熱めの茶を、最後に小振りの茶碗に熱い茶を出した。
まずぬるめの茶で喉の渇きを鎮めさせ、後の熱い茶を充分味わわせようとする三成の細やかな心遣いに感服した秀吉は彼を家臣とした。
また石田正宗と呼ばれる刀を愛用していたと伝えられている。
【三つ巴】
「豊臣秀吉」とよとみひでよし
猿
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。天下人、三英傑の一人。�天正元年(1573 年)、浅井氏が滅亡すると、その旧領北近江三郡に封ぜられて、今浜の地を「長浜」と改め、長浜城の城主となる。
近江より人材発掘に励み、旧浅井家臣団や、石田三成などの有望な若者を積極的に登用し 長浜という街の発展に貢献した。
長浜で毎年 4 月(昔は 10 月)に行われる曳山祭は、男子が生まれたことに喜んだ秀吉から祝いの砂金を 贈られた町民が、山車を作り長浜八幡宮の祭礼に曳き回したことが始まりと伝えられている。
秀吉の馬印は勝つたびに瓢箪を増やしていったといわれる千成瓢箪が有名。
【四つ巴】
「井伊直弼」いいなおすけ
牛
幕末の譜代大名。
近江彦根藩の第 15 代藩主。
井伊の赤鬼(いいのあかおに)の渾名でも呼ばれ、その赤い兜は彦根のゆるキャラのひこにゃんもかぶっている。 鷹狩の帰り道、豪徳寺の前を通った際に白い猫が手招きするような仕草をしていたため立ち寄った所、雷雨に打たれずにすみ、後に豪徳寺を立て直す際に多額の寄付をしたという。
猫の死後、境内に手招きする猫の像が作られるようになったのが招き猫の起源といわれる。
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